正式にカミングアウトします

最近はいろんなところで、話していますので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、

ワタクシ、「ADHD」です。

診断書もあります。

投薬はすごくしたいけど、していません。(現段階のメリットとデメリットを比べて)

瞑想やエネルギーワークは自分でしています。

メンタルも落ちやすいですが、あえて自分への内観のチャンスに変えています。

 

今診断書を探してみたけど、大切なものなので忘れないように何処かへしまったと思うのですが、

どこにしまったか忘れてしまい、見つかりませんでした。

よくあるw

 

この間、携帯電話がなくなって、探したら冷蔵庫から出てきました。

「高温なので、注意してください」という警告を見て、

自ら冷蔵庫に入れたのに、入れたことをすっかり忘れて

「なんで冷蔵庫に入れたんだろう?」とぶつぶつ言ってました。

息子に「なんか高温になったって騒いでなかった?」と

言われてから、「あ!自分で入れたわ!」と気づきました。

恥ずかしすぎる!!!!

こんなのが毎日何回もあるので、認知症より、手強いです。

 

自分がADHDであると気づいたのは、長男が3歳の時です。

約18年前です。

3歳児検診で、落ち着きがない様子に、

「この子は多動のグレーゾーンかも?」と言われたことがきっかけでした。

そこで、初めて発達障害『ADHD」について調べました。

その頃はあまり認知されていませんでした。

のび太くん症候群なんて言葉で表現されてましたね。

関連の本を読んでいたら、「これって私のことじゃん!」って気づいたわけです。

 

どんなに気をつけても忘れてしまうので、いつもストレスを抱えて生きていました。

メモはなくなるし、メモしたことを忘れるので、メモのメモがいるレベル。

メモを書いた瞬間にプレッシャーを感じるので、大切なこと以外は書かないことにしています。

少々のミスを容認しないと(自分に負荷をかけすぎて)生きていけない。

最近はリマインダーが使えて便利でになりましたし、アレクサが助けてくれます。

 

それまで障害だと知らなかったので、

自分がどんくさいから

自分がだらしないから

自分が頭が悪いからと

子供の頃からずっと自責していましたね。

怒られてばかりで、忘れ物ばかりで、なくしてばかりで、

自分は、なんで普通のことができないんだろうと思っていました。

 

自己価値はいつも底辺で、引っ込み思案しか生きる選択はありませんでした。

もし、自分が前に少しでも出ようものなら、、ミスした時の痛手が大きすぎるからです。

なるべくひっそり、誰かのじゃまをしたり、迷惑をかけないで生きていくこと。

親に迷惑かけないでいようとしましたね。

 

その頃は発達障害や「ADHD」はあまり認知されていませんでした。

ただ、自分は障害であるというを知ったので、少し気が楽にはなりましたが、

その時は、病院へいくことは努力もせずに逃げることになると思っていたので、

診断は受けずにいました。

もし発達障害であっても、人に言えるわけでもないし、知ったとしても隠しておきたかったので

診断の必要性はなかったのです。

ただただ必死でADHDがADHDの子育てをするしかなかったのです。

子育てを頑張った割には、毎度毎度やらかす息子でしたが、ADHDだからはちゃめちゃな部分は

ある程度はしかたない。それも個性と受け入れて育てました。

おかげさまで、ヤンチャながらADHDの割には自己価値は高めに育っていきました。

自分が低かったからそこはとても羨ましく感じます。

 

2年前に診断を受けたのですが、受けた理由は、自分をもっと知りたいと思ったからです。

自分がスピリチュアルを学んで、自分を知る上で、正確な情報が欲しかったのです。

感覚的にはADHDで間違いないと思っていたので、診断を受けたからと言って、

今更何かを感じるとは思っていませんでした。

 

ですが、先生の一言に、診察室で不覚にも号泣してしまいました。

「今まで、かなりの努力をされてこられましたね」

 

生まれて初めて、理解されたと感じました。

「先生はなぜそう思うのですか?」と聞いてみました。

すると、「今までたくさんの発達障害の人を見てきましたが、

あなたは話し方や、多動の処理やものの扱い方に工夫が見られます」と言われたのです。

 

その時の私は、特に何かが秀でているわけではありませんでした。

ただ、診察室に入り、カバンをカゴに置き、椅子に座って、先生の目を見て、話を聞いて、質問に答えているだけです。

普通のことです。

 

でもその状況で普通にすることが難しいのが、ADHDなのです。

長い間じっと待たされていた上に、先生の話を聞くことが実はすでに難しいのです。

気をつけていないとすぐに人の話の腰を折ってしまうんです。

初めて入る部屋では、いろいろなものに目がいって、刺激にさらされます。

とにかく落ち着いいて話すのが困難なのです。

いろんな音や声にいちいちに反応してしまったり、

さっき終わった話をいつまでも考えてしまったり、意識が飛びやすいので、

すぐに今何をしていたかわからなくなるのです。

さっきされた質問をあっという間に忘れてしまうのです。

そして、そうこうしているうちに、話している最中に手や足を動かしたくなる衝動に駆られます。

したくないのにゴソゴソしたくなるのです。

ゴソゴソして落ち着きがないなんて、大人の女性としてとても恥ずかしいことです。

だけど、したくなくてもしたくなるのです。それをコントロールするのが、すごく難しいのです。

みんなは、最新のショベルカーでどんどん仕事をしているのに、

まるで、自分だけポンコツの接触の悪いショベルカーで同じ仕事をしなさいと言われているみたいなのです。

自分はポンコツなのに、当たり前に人と同じことを求められるので、必死にやるしかないのです。

できなかったり間違ったりすると、「なんでできないの?」と聞かれ、呆れられます。

そうならないように必死にやると、「じゃ、次はこれね」とさも簡単そうに

次を求められます。そんなときに絶望を感じます。

また人の何倍もやるしかないのです。

みんなは普通に簡単にできることなのに、自分にはとても難しい。

いつも悲鳴をあげたくなるけど、みんなは普通できているので、できない自分がだめなんだなと

思い我慢するしかないのです。

ですが、先生は「よくそのショベルカーで同じように頑張ってできましたね」と

気づいてくれたのです。

うれしかったです。

初めて、結果の出ていないことへの努力を認められたのです。

 

でも、きっと私は運が良かったのです。

私の母は、苦労人だったので、常に工夫をして生きてきました。

店も病院もない山の中で暮らしていたので、自分たちでなんとかするしかないという

精神を持って生きてきたのです。

だから、いかに工夫するかを大切にしていて、私にそれを教えてくれました。

私は、ADHDでありながらも、なんとか対処しながら生きてこれたのです。

(と言っても、失敗とストレスは人より断然多いですが)

母のしつけのよって、色々な工夫をしてきました。

「どうしたらうまくいくか考えなさい」

母は常にそう言ってくれたので、

たとえば、足をブラブラ動かさないように、

絡めるように足を組む癖をつけたり、見えないところ(足の指や口の中で舌を動かすなど)を

ゴソゴソさせて衝動性を満足させたり。

とにかく視界を狭めて、視野に刺激が入らないようにコントロールするようになりました。

自分なりのスキルを生み出してきました。

ADHDでなければ、なんとも活用にならないレベルのスキルですが。

 

普通に病院に行って、問診を受けただけですが、

それだけのことをきちんとしようとすると、とても苦痛、もしくはできないのがADHDなのです。

たった一度の診察で、私を観察して、そして認めてくださった先生に本当に感謝しています。

私の低かった自己価値が上がった瞬間でした。

 

思わず、すぐに母に、ADHDであることを伝えましたが、ショックだったのか、

あまり、その話題にふれませんでした。

私が「ADHDだから」という言葉を使うのがしばらくの間は嫌だったようです。

普通の感覚とADHDが違うのだということを少しだけわかってもらいました。

たとえば、

忘れてしまうことは、ただの物忘れレベルではなく、悪気もなければ、

誰よりも本人が直したくてしかたたないこと。でも忘れてしまうこと。

でも、どう頑張っても治ることはないので、うまく対応していくしかないと受け入れて

自分の得意なことで、役立つことをやろうと腹をくくっていること。

その上で苦手なことは助けてほしいと思っていること。

今では、すっかり認めて、助けてくれます。

最近は、私の周りの人にもADHDのことをやできないことや苦手なことを話して、助けてもらっています。

 

今でも生きづらくて苦しいですが、反対にADHDはいいところもあって、

感覚が鋭いので、スピリチュアルには向くことがあります。

意識が飛びやすいので、意図的に飛べるようになるのが早いです。

記憶のメモリは小さいのですが、創造力はあります。

何かを作ることに長けていることがあります。

アイデアマンでもあります。

好きなことへの、執着とも言える情熱はすざましいものです。

本当に寝食忘れて没入できます。

過集中が活かせる仕事だと最高です。

恐れが少なくチャレンジ精神は高めだったりします。

案外、アーティストや社長さんに多かったりします。

私の場合ですが、失敗に慣れているので、プライドが低い笑。

周りの人は自分よりできると認めているので、人の良いところ認めることができる。

すぐに忘れるので、根に持たない、というか持てない。

おごらない、というよりおごるほど成功しない。

個人差はありますが、私がADHDゆえに受け取ってきたメリットです。

ADHDに対してのなにかしらのアクションはしていきたいです。

困っている人も多いですし、とにかく共感できるだけでかなり楽です。

こればかりは当事者しか共感できないのですが、

あるある話をするとすごく楽になります。

私がADHDを肯定的に、いや、最強の才能かもしれないと思うようになったのは、

同じADHDのNAMIEちゃんと日常のあるあるから、思いを共有できたからかもしれない。

できないってことを堂々と言えたからかもしれない。

とんでもない失敗を思い切って打ち明けられたからかもしれない。

NAMIEちゃんは、チャネラーだけど、ADHDやその家族の大変さが少しでも改善されるように

活動をしていくので、私もADHD当事者として応援したいと思っています。

とりあえず、NAMIEちゃんがパーソナリティ〜をしている

インターネットラジオ「ゆめのたね」のゲストに呼んでいただきましたので、

母である「さらけい」と一緒に3月中に、ADHDネタで収録に行ってきます。

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